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【謎】将門の首塚の祟り 日本史上最強の怨霊!


平将門 首塚の祟りとは?


平将門(たいらのまさかど)の首塚と言えば、ご存知の方も大変多いと思います。今日は、将門の首塚の祟りについての、お話です。



平将門は承平5年(935年)、関東八州を制圧して独立国宣言をします。ですがその後、朝廷軍に破れ処刑され、首を京都五条河原に晒された。



ところが、京都で獄門にされた将門の首は、腐る事もなく眼を見開き、切り離された自分の胴体を求めて「頭ついで今一軍せん!」と叫びながら、夜な夜な街を飛び回ったという。


そして、ある日の夜、失った体を求めて東国へと怪光を放ちながら飛び去り、東京大手町の御手洗池に落下した。



現在、その将門の首が、東京都千代田区の大手町一丁目に残されている。大手町と言えば、高層ビルが建ち並ぶオフィス街の中心地。その一角に、ひっそりとあるのだ。



この辺りは、2016年春から再開発を行っていますが、巨大オフィスビル2棟(ツインタワー)A棟「三井物産ビル」とB棟「Otemachi One タワー」の説明にも、こんな記述があります。

外構には大規模な緑地が設けられます。
隣接する将門塚とも連なり、約6000㎡の緑地空間は大手町のオアシスとしての機能を果たしそうです。


再開発に「将門の首塚」は含まれない?ちょっと不自然な気もしますが、三井不動産首塚を「神聖で大切な場所」としてそのままにするとしている。


実は、これまでに何度も首塚を移設する計画は有ったのだと言う、だがその度に死者を出す様な大事故が起きてしまう。関東大震災や、大蔵省の新庁舎を建設しようとした時は、役人や建築に関わった人など十数人が不審死し、その時の大蔵大臣も病死した。


戦後、焼け野原となった首塚周辺を整地した際に、ブルドーザーの横転事故が起き運転手が死亡するなど、偶然とは思えない事故が起きている。その結果、首塚は動かされることなく、むしろ大事に保存される事となった。近隣の大企業が協力し「史蹟平将門塚保存会」を設立し、現在も維持管理は続けられている。


ちなみに、近隣のビルからは首塚を見下ろす事の無い様、窓を設けていないという。さらに、塚に対してお尻が向かない様に、職場のレイアウトをしているのだとか。


流石、日本史上最強の怨霊と言われる平将門です。亡くなってから1100年近く経っても、その力は衰える事は無いのですね。