前方後円墳は卑弥呼の墓なのか?
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180824003936.html
今回は、卑弥呼の墓に関するお話です。
女王・卑弥呼とは、邪馬台国を治めていたと、中国の史書「魏志」の「倭人伝」に記されている。また、「倭人伝」に登場する国は何処にあったのか?未だに結論がだされない謎である。
奈良県桜井市に巨大な古墳、前方後円墳・箸墓(はしはか)古墳がある。実はこの箸墓古墳は、女王・卑弥呼の墓ではないかと、古くから言われてきた。
「倭人伝」によると、卑弥呼の墓の大きさは「径百余歩」。当時の1歩は約1.45メートルなので、約150メートル。とても大きな古墳である。
しかし、箸墓古墳を卑弥呼の墓とするには問題があった、それは造成時期なのだが、卑弥呼が「倭人伝」に登場するのは3世紀半ば。箸墓古墳は日本最古級の前方後円墳であるものの、構築年代は3世紀後半というのが定説だったのだ。
ところが最近の学説によると、古墳時代の開始を早める見方が有力である。箸墓の築造年代についても、3世紀半ばから後半ではないか?とする説が広まりつつある。この為、箸墓が卑弥呼の墓である可能性も高まっている。
倭迹迹日百襲姫命大市墓 拝所
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現在箸墓は、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいち墓)、これは大市墓(おおいちのはか)として、宮内庁により管理されている。