仁徳天皇陵!埋葬されている人物が2人?
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新発見続々!
何人埋葬されているのか?
埋葬された人物は誰か?
新発見続々️!世界文化遺産古墳ミステリー
世界文化遺産への登録が決まった、宮内庁が仁徳天皇陵として管理する大仙古墳 、実は埋葬されている人物が2人いたのでは? という資料が残されている。
歴史に埋もれた人物が居た、可能性があると言うのだ。 また埋葬されている人が1人とは限らない、集団で葬られているのではないか?との事です。
築造当時の様子
さらに最新の調査からは、現在の木々に覆われた姿とは全く異なり、 石が敷き詰められ膨大な数の埴輪が並べられた、築造当時の様子が見えてきました。
1600年ほど前に作られたとされる百舌鳥古墳・古市 古墳群(49基の古墳)、これまでほとんど伝えられてこられなかった、古墳の魅力が明らかになりつつあります。
大阪堺市にある日本最大の前方後円墳、 大仙古墳 2つ目の埋葬場所は意外な所に有りました。これまでの研究では埋葬場所は、丸い部分 後円墳と考えられていました。
当時人々は後円墳の丸い部分に向かって、祭祀とり行っていたといいます。
ところがもう一つの埋葬場所は、明治5年の調査で発見された石棺の記録として、残されていました。
古墳時代中期5世紀頃の石棺
亀の甲羅のような形をした石棺、古墳時代中期5世紀頃によく使われた形状でした。埋まっていたのは前方部南側斜面でした、後円部から離れた前方部端にもう一つの墓が存在していました。
明治5年の調査で、ガラス容器や甲冑(青銅に金メッキ)や太刀が見つかっていました。 当時の日本では珍しい豪華な品々、埋葬されたのは当時の有力者の中でも、
極めて位の高い人物と見られています。
調査の結果 古墳は石で覆われ、およそ3万本の埴輪が並べられていました。
築造には1日2000人が作業しても、15年以上掛かるという類を見ない巨大な古墳でした。 相当な権力者が、埋葬されたと研究者は見ています。
大仙古墳2つ目の石棺には誰が?
同じ古墳内で埋葬されるケースは、非常に近い血縁関係にある人達だった事が、最近の研究で明らかになっています。 この頃の天皇は各々が、別々の古墳に埋葬されたとされています。 有力者にもかかわらず、歴史から埋もれた人物がいたのではないか?
埋葬場所の謎 さらに詳しく
- 血縁関係があった男性同士?
- 埋葬場所が2つだけじゃないのかも ?
なぜなら和泉塚黄金塚古墳(大阪府)には、3カ所の埋葬施設。
大塚山古墳(大阪府)には、8カ所の埋葬施設が確認されています。
また江戸時代には後円部に石棺が有るのではないか?と言う記録が残っており。 明治5年前方部の端の斜面の方から、石棺が見つかっています。 前方部の端に埋葬がある事は珍しく、通常前方部頂上に埋葬されています。 この為おそらくここにも有るだろうとされています。 少なくとも、大仙古墳には3カ所の埋葬がされているのではないか?と思われます。 その中で古墳の主は前方に大王(おおきみ)!その次のランクは前方頂上に葬られた人物。
前方部に埋葬された人物は、王権を支える近親者 王権中枢の重要な人物が、複数埋葬されているのではないか?と推測されています。オカルトひろば
参考元 NHK