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【遺跡】前方後円墳と壺 古墳の形の謎解明

【遺跡】前方後円墳と壺 古墳の形の謎解明オカルトひろば

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前方後円墳!それは、前が方墳で後ろが円墳である。


「読んで字のごとく」なのだが、恥ずかしながら私がこの事に気付いたのは、大人になってからでした。鍵穴の様な形に、何の疑問も違和感も抱かずに過ごしてきました。


そんな前方後円墳は、その形状から「瓠塚(ひさごずか)」、すなわち「ひょうたん古墳」と呼ばれています。これまでは日本独自の形式として、古代日本の象徴の一つに挙げられて来ました。


ですが、朝鮮半島でも発見されています。多くは朝鮮半島の南部に有りますが、北部でも発見されており、北朝鮮の慈江道雲坪里(チャカンドウウンピョンリ)の鴨緑江(アムルクカン)沿いで、日本の前方後円墳よりも300年は古いとされる前方後円墳が、何基も発見されている。


北朝鮮前方後円墳は、積石塚になっています。これは全体が葺き石で覆われていて、日本の前方後円墳のルーツとも言える形態です。


他にも同様の積石塚は、東北アジアから北アジア一帯に広がり、さらに北欧でも発見されている。


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この独特な形状は何を意味しているのか?前方後円墳ですから、方墳と円墳をくっつけた物かと思ってしまいます。ですが、方墳は普通 正方形や長方形なのである。


なのに、前方後円墳の前方部は台形なのだ。もっとも古いとされる大和の箸墓古墳(はしはかこふん)は、先端部分がもう一段階広角(広がっている)になっている。あきらかに、初めからこのデザインなのである。


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左 応神天皇陵   右 仁徳天皇陵

さらに注目して頂きたいのは、応神天皇の陵墓であり、その息子である仁徳天皇の陵墓である。丸と四角の境あたりに、小さな構造物が付随している。これを「造出し(つくりだし)」といいます。


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この造出しを意識しながら、上下をひっくり返すと、そう「壺」に見えるのではないだろうか。取っ手の付いた壺である。


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しかし何故、壺なのだろうか?その理由は、応神天皇にある。応神天皇は、かつて朝鮮半島から日本へやって来た、騎馬民族だと言う研究家がいる。前方後円墳騎馬民族の象徴だとすれば、その昔 無敵を誇った彼らの領土を考えれば、広い地域で前方後円墳が発見される事は納得できる。


騎馬民族は、壺を王権のシンボルとしていたと考えられる。何故なら、トルコ系騎馬民族突厥(とけつ)」の始祖は、黄金の壺から生まれたという伝説があるからだ。


この前方後円墳を壺に似せた事は、その壺の事を知っていただかなければ、ピンとは来ないのではないかと思います。次号は壺にフォーカスいたします。


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最後に、随分昔の事となりますが、群馬県高崎市にある「かみつけの里博物館」 に見学に行きました。古墳の上を歩けたりします。


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その際に、造出しにも気付いたんですよ。でも当時は何も知らず、何だろう?両側に有るよ、耳みたいって思ってました。


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あれ?まてよ・・・。ここだった気がしますが、違う所だったかな?最近、物忘れがひどくて。いつ行っても、大抵空いてるので、のんびり見学出来ます。展示物は重要度の高い物もありますよ。


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