アイスマンは何者かに殺された?
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1991年 アルプス山脈にて登山をしていたサイモン夫妻は、一体のミイラを発見した。当初それは、通常の遭難者の遺体として処理されていた。しかし、そのミイラはなんと!5300年前の人間だった。ミイラはエッツィ渓谷で発見された為、エッツィと名付けられ、その後「アイスマン」と呼ばれて世界中の注目を集めた。
アイスマンの特徴
スイスとイタリアの共同チームの研究によって、色々な事が判明した。アイスマンの身長は約160cm、体重は約50kg、瞳は茶色、頭髪は濃い茶色で肩まであり、足のサイズは約23cm。年齢45歳前後、新石器時代の人としては高齢である。
親知らずは2本ともなく、歯はそろっているが前歯2本の間に3mmのすき間がある。これは「正中離開」と呼ばれる遺伝的症状である。体脂肪はほとんどなく、身体つきから良く歩く人だった事が分かる。手が小さく、酷使した形跡がない為、肉体労働者では無い可能性を示唆している。
皮膚に60個以上の入れ墨があり、ヒツジやヤギの皮を縫い合わせて作られた革のコートを着ていた。
最後の2日間
消化管に付着した花粉を調べた結果、アイスマンが死亡した季節を晩春から初夏の間と特定した。また、ミイラ化した遺体の内部と周囲から、75種類以上のコケ植物を見つけた。
アイスマンの殺害現場は標高3210mのティーゼン峠。遺体から見つけたコケ植物の、約70%はこの場所に自生しない。もっと標高の低い場所に自生するという。この事から、アイスマンは最後の2日間に標高約1900m地点から谷底まで下山。再度山を登り、標高3200m地点まで行った(遺体の発見現場)。
胃の内容物から最後の食事は、乾燥させたアイベックス(アルプス産のヤギ)・シカの肉・ヒトツブコムギだった。そして、その1時間後に殺害されたことが判明した。
死因
アイスマンの身体には、鏃(矢じり)で追った背中の傷、さらにもう1つ目立つ外傷がある。右手親指と人差し指の間に深い傷があり、傷は骨まで達していた。傷の状態から、死の1〜2日前に負ったものと考えられる。
背中の傷は、矢を射られた痕である。右手親指と人差し指の間の傷は、どの様にして出来たかの推測がされている。と言うのも、彼が持っていた道具、武器、衣類から採取したDNAサンプルには、アイスマンを除いた別の4人の人間の血液が含まれていたのだ。アイスマンの死には、暴力的な事件が絡んでいる可能性が高い。また、別の4人の血液が付着している事から、アイスマンを簡単に殺せた訳では無いようだ。
チューリヒ大学の解剖学者フランク・リューリ教授により、エックス線を使用してのコンピュータの断層撮影、CTスキャンなどを駆使する事で、鏃(矢じり)から受けた肩の動脈の傷による失血がアイスマンの死因だったと証明された。
リューリ教授はアイスマンの死因について「矢先が肩甲骨に入り鎖骨まで突き刺さっていた。矢先は動脈に当たった損傷が見られる。CT映像では大きな血腫が見られ、多く失血したことを物語る」と分析。リューリ氏はアイスマンは矢を受けてから間もなく死亡したと推定した。