開洋丸UFO遭遇事件!
東京ドームに匹敵する大きさ⁉
UFOの狙いは?
開洋丸UFO遭遇事件
これは昭和63 (1988)年8月に発表され、話題を呼んだ本当の事です。
海洋水産資源開発センター調査員及び東大海洋研究所員である科学者、 永延幹男博士 当時37歳による衝撃的な発表です。
その内容とは、水産庁の海洋調査船開洋丸が1984年・1986年の2度にわたり、巨大UFOに遭遇しました。
その目撃者は、9人!彼らの目撃証言を含む、科学データを整理して発表されました。
フォークランド諸島付近
始まりは、昭和59年(1984) 12月18日アルゼンチン沖の、フォークランド諸島付近の大西洋上で起きました。
ほぼ東京ドームに匹敵する、楕円形の巨大UFOが開洋丸の遠方を、不規則なコースで飛行しているのを乗員が目撃したそうです。
全長は約300~400メートル、青白い光を発し水平線の彼方に、超高速で消え去りました。ただ消え去る瞬間に、爆発したかのような真っ赤な光を放射したと言います。
このことは開洋丸の航海日誌に、正式に記載されていたそうです。
そして2度目の遭遇は、昭和61 (1986)年12月21日 場所は太平洋中部、ハワイと日本とのほぼ中間くらいの海域です。
この時の遭遇は驚くべきもので、レーダーがUFOの巨大な機影を捕えました。
更にUFOは異常接近して、開洋丸の周りを何度も旋回したり、急角度でターンしたりしたそうです。
事の詳細
昭和61 (1986)年12月21日 午後6時ごろ、開洋丸の佐々木洋治二等航海士は、操舵室の最新式レーダースクリーンにうつる、巨大な機影を発見つけました。
「いったいなんだ?」タンカー並みの大きさ、そんなものが空中に浮かんでいる⁇
推定全長400メートル前後の、楕円形をした機影を捕らえていました。
開洋丸の左舷、約5キロの海上上空においてでした。
佐々木氏たちは操舵室から船外甲板に出て、双眼鏡にて物体のいる上空を探してみました。
水平線付近は夕焼けで明るかったそうですが、何も発見することができませんでした。
レーダーの故障かと思い、再度レーダースクリーンを確認しますと、そこには確かに同じ物体が映し出されております。
その物体は北方に、ゆっくりと移動していることが判明しました。
再度船外に出て、そちらの方角を確認しましたが、何も発見できない。
そのうち不思議な飛行物体は、レーダースクリーンからも消えていました。
更に2時間後、佐々木二等航海士と当直を交代した下条正昭三等航海士ら3名が、レーダーで再び巨大な飛行物体の機影を捕らえたのを確認。
巨大な物体の機影は、開洋丸の進行方向東方から高速で接近し、船の左舷から船尾へと回り込んできました。
明らかに開洋丸の存在を意識した行動に思えます。
ですが今回も、レーダーがとらえているはずの巨大な飛行物体は、目視しようと空に目を凝らしても確認出来ませんでした。
レーダースクリーンでは、巨大な機影は開洋丸の右舷側から船首方向へと一周し、その間隔を約8キロにとっていました。
さらに船を一周した後、左舷前方の北東方向約16キロから急激な直角ターンをし、開洋丸に向い超高速で近づいてきました。
レーダースクリーンに映る機影は、開洋丸の手前2.5キロ付近で急停止。
V字ターンで来た方角へ急速に遠ざかり始め、最終的にマッハ4を超えて遠ざかりました!
ほっとしたのもつかの間、またしても巨大な機影がレーダースクリーンに映し出されました。
この時時刻は、午後11時10分。
今度は船尾方向から、猛スピードで突進してきました。
その際に、村塚正信甲板員が叫んだ、「だめだ全く何も見えんぞっ」なおも急接近して来る機影!
「ぶ、ぶつかる気かっ!」その瞬間、開洋丸の上空をヴオオーンと腹の底に響く低い音を残しながら、何か巨大なものが通過しました。
謎の巨大な飛行物体は、水平線の上空で真っ赤に輝き、その後二度と現れることは有りませんでした。
このときの目撃証言者は9名、その目撃者全員がレーダー観測・目視観測の
プロフェッショナルでした。
上記参考元「徳間書店」
まとめ
目撃者全員が観測業務のプロフェッショナル。
開洋丸に装備されていた、2基のレーダーはいずれも正常でした。
レーダー画像は鮮明で、継続時間の長さを考えますと、錯覚や集団催眠・集団ヒステリーではないのでしょう。
更に、レーダー偽造で無い事は、明白です。
この事から、開洋丸が何らかの未確認飛行物体と、遭遇したのは事実と思われます。
ですが何故、開洋丸だったのか?
何故、日本船籍なのか?
偶然か?それとも?
それにしても船員の方達、とても怖かったでしょうね。
生きた心地がしないと良く言いますが、この時がきっとそれでしょうね。
それでも、私はUFOを近くで見てみたいです。