何故、彼女たちは命を落とすことになったのか?
https://www.youtube.com/watch?v=V8kHWwJ9XKQ
最悪の水難事故
昔から、三重県には遊泳禁止となっている区域があるが、何故、遊泳禁止なのかを、知る者も少なくなってきたと言う。
女子集団水死事件
それは60年以上も前に起きた、とても痛ましい事件が関係している。1955年7月28日 三重県津市にある中河原海岸、通称 文化村海岸で事件は起きた。
https://www.huffingtonpost.jp/2014/07/28/kyohoku-sea-accident_n_5626057.html
この日は穏やかな海水浴日和だった事もあり、海岸近くの橋北中学校が水泳訓練を行っていた。教師19名と生徒388人と、かなり大人数であった。だが、この海岸は水深1.5メートル以下の浅瀬が広がる遠浅の海岸で、ここが安全な海水浴場である事は、地元の者は皆承知していた。
ところが海に入って5分ほどたったころ、突如悲鳴が上がった。見れば女子生徒たちが、遊泳地点から沖合へ流され始めている。その人数はなんと50名、悲鳴を上げる者、必死に水面を叩きもがく者、そんな彼女らに気付き、教師や男子生徒が救助に向かったが、ひとり、またひとりと、引きずり込まれる様に海の中へ沈んでいった。
助けられた者も数名いたが、結局、36名もの女子中学生が亡くなってしまった。何故、彼女たちは亡くなってしまったのかを調べるべく、警察や自衛隊による徹底的な調査が行われた。しかし、はっきりとした原因は分からなかったのである。事故現場の水深は1メートル~1.5メートル、集団事故死するほどの大波も無かったと言う。
亡霊の仕業か?
のちに生存者のひとり、梅川弘子さんが当時の体験を手記として発表した。そこに書かれていたのは、怪奇としか言いようのない事柄であった。
海面をひたひたと黒い塊が泳いできたので見てみると、それは何十人という女の姿だった。頭にはぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、モンペを履いていた。逃げようとすると足をつかんで引きずり込まれた。
実は事故の起きた日から、ちょうど10年前、1945年7月28日 中河原海岸付近の民家一帯は、B29による爆撃を受け、多くの死者が出ている。火葬が間に合わない遺体を、この海岸に埋めたのだそうだ。
こういった事も有り、現在でも中河原海岸( 文化村海岸)は遊泳禁止区域となっている。毎年7月になると、心霊現象の報告が有ると言う。