失われた文明
高度に発達し、繁栄を極めた古代文明。
だが地震と洪水によって、一夜にして海の底に沈んだと伝わる。
アトランティスの伝説
最初に記したのは、ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427~前347)。
哲学者の祖にして、著書(クリティアス)と(ティマイオス)を残している。
クリティアス・ティマイオスいずれも、 アトランティスから物語が始まる。
伝説
物語は紀元前590年頃に、エジプトを訪れたギリシャ七賢人の一人ソロン(紀元前638~前559頃)が、エジプトのサイス(古代エジプトで首都になったこともある都市、
現代名サ・エル=ジャハル。今はアブシール村になっています)の神官から聞いた話として展開されている。
今から約9000年前にヘラクレスの柱(ヘラクレスの柱とは、ジブラルタル海峡の入口に有る、岬に付けられた古代の地名。)の向こうに、アトランティスと言う名の国があった。
アトランティスを盟主とするグループと、アテネを盟主とするグループとが戦いを交えを得ようとしていた。しかし地震と洪水に襲われ、アトランティスが一夜にして海底に没してしまった。
アトランティスを作ったのは海神ポセイドンである。
半径50スタジオン(約9キロメートル、1スタジオンは約180メートル)の島の真ん中に小高い山があり、両親を亡くした1人の娘が住んでいた。
ポセイドンはこの娘と結婚し、五組の双子の男の子をもうけた。
そこでポセイドンは、アトランティス島全体を10の地域に分け、子供たちをそれぞれの土地の王とした。最年長の双子のうちの先に生まれた子が全体の王となり、母の住まいとその周りの一番広くて、なおも良く肥えた地域を支配した。
この子の名がアトラスであったのにちなんで、この国はアトランティスと呼ばれた。
島の中央のアクロポリスの中には、ポセイドンとその妻に捧げられた社や、ポセイドンを祀った神殿があった。この神殿には金、銀、オレイカルコス(銅の合金の一種らしい)や象牙の飾り付けがしてあった。神殿の中にはポセイドンの像を含むたくさんの黄金の像があった。
冷泉と温泉の2つの泉があり、王室用、一般用、婦人用、家畜用のプールもあった。
体育練習場、戦車の競技場、親衛隊の宿舎があった。
造船所もあり、ドックには3段櫂の軍船がいっぱい収められていた。
港には世界各地からやってきた船や商人が道に溢れていた。
町の周りには一面に平野が広がっていた。その平野は、東西3000スタジオン(約540キロメートル)、南北2000スタジオン(約360キロメートル)の長方形をしていた。
平野は島の南側にあり、寒い北風は山によって遮られていた。
平野には運河や水路が張り巡らされ、そのために2度の収穫があった。平野の1地区の面積は10スタジオン(約1800メートル)平方で、地区の総数は60,000あった。
戦争のときには、各地区から16人の陸兵と4人の水夫を差し出すことが求められた。
王国は1万台の戦車と、1200隻の船を持っていた。
他の9つの国でも、それぞれ別の体制をとっていた。
アトランティスの莫大な富
アイギストス(エジプト)、ティレニア(紀元前8世紀~紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群)などの地中海全域に及ぶ支配下の国から多量の物資が送られてきたが、島自身も富んでいた。
硬軟の地下資源、金に次ぐ貴重な金属とされていたオレイカルコス(オレイカルコスはラテン語、ギリシャ語ではオリハルコン、幻の金属)森林資源、家畜、象を含む野生動物、あらゆる種類の香料の原料となる植物、ブドウなどの果実、木の実、穀物が豊富に取れた。
10人の王
10人の王たちは、自分の領内では絶対の権力を持っていた。しかし互いに交わりや支配関係について、5年または6年ごとに10人の王がポセイドンの神殿に集まりそこで決めた約束に従っていた。
ポセイドンの神殿に養われている雄牛の1匹をとらえてその喉を切り、流れ落ちる血潮で取り決めの結果が神殿の柱に書き込まれた。いけにえの血酒を黄金の杯に受け、10人の王たちがそれを飲んで、取り決めを神聖なるものとした。
10人の王たちがすべて優れた王であったために、彼らの国は富栄えた。
しかしやがて堕落が始まった。懲らしめるために神々の中の神であるゼウスが地震と洪水を起こし、一夜にしてアトランティスは海底に没した。オカルトひろば
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参考元 教育社Newton